Sights of Italy

Tour to Florence (フィレンツェ観光) March 31 - April 1, 2008

Athens Airport (アテネ空港)

アテネからローマへ

3/31 15:48 アテネ空港からローマへ

航空機: AP1652
アテネ発: 18:15
ローマ着: 19:25

掲示板最上段に 31-03-2008 16:48
最下段に18:15 A3 652 AEGEAN Pωμn

と表示されている。

シリアとローマでは1時間の時差がある。おまけに夏時間の始まる時期なので混乱する。この時点でカメラの時刻は1時間遅れている。明日から夏時間らしい。

Aegean Airplane (エイジアン航空機)

アテネからローマへ

19:15 エイジアン航空機

機内サービスで軽食がでた。

Rome Airport (ローマ空港)

ローマ空港

21:09 ローマ空港に到着、預けた手荷物を待っている。

 

Hotel Giolli (ジオリホテル)

Hotel Giolli

4/1 06:52 ジオリホテル

このホテルに宿泊した。4月1日になった。これから一般のバスツアーに参加してフィレンツェ(Firenze)に向かう。

フィレンツェはトスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地。

Full Day Regular Excursion Tour to Florence (一般バスツアーで1日フィレンツェ観光)

フローレンスへ

09:59 一般バスツアーで1日フィレンツェ観光

バスでローマからフィレンツェ(Firenze)に向かう途中の景色。田園風景が広がる。

イタリア語のフィレンツェ(Firenze)は、英語ではフローレンス(Florence)となる。

Historic Centre of Florence (フィレンツェ歴史地区)

フローレンスの街

11:48 フィレンツェ歴史地区

イタリアの都市フィレンツェの中心部。ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されている。歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されており、ルネッサンスの芸術、文化を眼前にみることができる

街の道路を進む。観光客相手に道路に沢山の絵を並べて売っている光景によくであった。絵とは言っても大抵有名な絵などのカラー印刷コピーだ。

Cathedral of Santa Maria del Fiore (サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

サンタ・マリア大聖堂

12:41 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

天を突く巨大なゴシック建築の前に来た。建物の名称は「花のサンタ・マリア聖堂」。

フィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会。フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。

イタリア国内のゴシック建築および初期のルネサンス建築を代表する建造物。1296年から140年以上の年月をかけて建設された。

Cathedral of Santa Maria del Fiore (サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

サンタ・マリア大聖堂

12:42 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

正面の天を突くゴシック建築につながってこの巨大なドームがある。石積み建築のドームとしては現在でも世界最大である。

でもなんとなく聖マリアのイメージと重なり合わないな。

 

Baptisry with the golden bronze doors (金色のブロンズ彫刻で飾られたドアのある修道院)

Baptisry with the golden bronze doors

12:36 金色のブロンズ彫刻で飾られたドアのある修道院

The Baptisry with the golden bronze doors by Chiberti and Giotto’s Belfry.

 

The Palazzo Vecchio, Florence (ヴェッキオ宮殿)

Florence’s Town Hall

12:59 ヴェッキオ宮殿

フィレンツェの政庁舎として14世紀の始めに建築され、現在は市庁舎として使用されている。3層の石造建物で塔の高さは94mある。

建物の右手にある入り口の所にダビデ像が見える。建物の前はシニョリーア広場(Piazza della Signoria)だ。この広場は中世期フィレンツェ政治の中心地だった。今は沢山の観光客が訪れる。

Statue of Medici (メディチ像)

メディチ像

13:02 メディチ像

フィレンツェ(Firenze)は中世の時代、自由交易によって栄えた。さらにメディチ家の支配によって富を蓄え、ルネサンス芸術によって輝きをました。

Fountain of Naptune (ネプチューンの泉)

Fountain of Naptune

13:09 ネプチューンの泉

Fountain of Naptune

The David, in front of the Palazzo Vecchio, Florence. (ヴェッキオ宮殿前のダビデ像)

Florence’s Town Hal

13:04 ヴェッキオ宮殿前のダビデ像

フィレンツェ(Firenze)の紋章とダビデ像が見える。

ダビデ像が最初設置された場所はフィレンツェ政庁舎(ヴェッキオ宮殿)の屋外のこの場所だった。市民を鼓舞する目的でこの場所がえらばれた。

1873年にダビデ像はアカデミア美術館に移され、1910年から複製が置かれている。

Piazza della Signoria (シニョリーア広場)

記念撮影

13:07 シニョリーア広場

ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場は、中世期フィレンツェ政治の中心地だった。じゃ、記念撮影。

Galleria dell’ Accedemia (ガレリア・デル・アカデミア)

Galleria dell’ Accedemia

13:17 ガレリア・デル・アカデミア

ガレリア・デル・アカデミア美術館にはミケランジェロの傑作ダビデ像のオリジナルがある。その他、同じくミケランジェロのピエタ第3作や囚人の彫刻が展示してある。写真撮影禁止、残念。

ダビデ像と対照的にミケランジェロ晩年の作品は未完成だがやさしさが加わっている。

Statue of David (ダビデ像)

ダビデ像

ガレリア・デル・アカデミアの中では写真撮影禁止だった。Wikipediaから写真を拝借。

本物のダビデ像を英語の説明を聞きながらまじまじと見た。大きく立派な大理石柱を26歳の若いミケランジェロが1501年に彫り始めた。完成した時彼は29歳、3年の歳月をかけた。

巨人ゴリアテに立ち向かうダビデと同じ若い情熱と力で丹精に彫り上げた。理想的な男性像を完成させたギリシャ彫刻を彷彿とさせる完全主義を感じる。すばらしい出来栄えだ。ミケランジェロは好奇の目を避け、製作に集中できるよう大理石の周りを仕切りで囲って極秘裏に作業を続けたという。

ダビデは投石バンドを左肩に持っている。右手にはその端の部分が触れる。右手には石を持っているのかと思っていたがそうではなかった。殆ど純白の大理石だが背面の腕の辺りにはわずか黒っぽい大理石の筋がある。

1527年の反メディチ革命の際左腕が打ち壊される大きな損害を受けた。幸い破片は拾い集められ修復された。よく見ると修復接着した跡が見える。1873年にダビデ像はアカデミア美術館のこの場所に移された。1991年、一人の観客が鉄槌で像を襲い、左足が砕かれる事件が起きた。左足の指先などは砕かれた跡がくっきり残っている。

ダビデ像はルネサンス期の文芸復興の鼓動を最も強く感じさせる作品だ。

 

Piazza Santa Croce (サンタ・クローチェ広場)

Piazza Santa Croce

13:26 サンタ・クローチェ広場

向こうに見えるのはサンタ・クローチェ聖堂。

お昼のあと自由時間、時間になったらあの教会の前に集まるようにとのこと。

Lunch (お昼)

昼食スパゲッティ

13:49 お昼

イタリアなのでスパゲッティを食べた。ちょっとあっさりしすぎてない?

Basilica di Santa Croce (サンタ・クローチェ聖堂)

サンタ・クロース教会

15:21サンタ・クローチェ聖堂

サンタ・クローチェ聖堂はフィレンツェにあるフランシスコ会の主要な教会で、カトリック教会のバシリカ。サンタ・クローチェ広場にあり、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂からは南東800mのところに位置する。

この聖堂は、ミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ジョヴァンニ・ジェンティーレ、ロッシーニといった有名なイタリア人たちの埋葬場所でもある。

お昼のあと自由時間、時間になったらこの場所に集まるようにと言われた場所、近寄ると大きいな。

Piazza Santa Croce (サンタ・クローチェ広場)

記念撮影

15:22 サンタ・クローチェ広場

この地区の歴史的建造物は繁栄した13世紀から16世紀にかけて建設された。いまでも大切に保存されフィレンツェ歴史地区を構成している。フィレンツェは「屋根のない博物館」と言われるのも納得できた。

エジプトにも「世界最大の野外博物館」と言われる場所があった。古代エジプトでテーベと呼ばれたルクソールだ。ただし、2000年以上の時が流れている。時が千年単位で推移した間に人類はどれだけ進歩したのだろう。


ついでにここで記念撮影です。

Statue of Dante Alighieri (ダンテ・アリギエーリ像)

ダンテ像

15:24 ダンテ・アリギエーリ像

サンタ・クローチェ聖堂の隣に立つダンテ・アリギエーリ像

ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri、1265年 − 1321) は、イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。代表作は彼岸の国の旅を描いた叙事詩「神曲」および詩文集「新生」。

「神曲」と言う日本語訳題名は森鴎外によるもの、ダンテ自身による原題は単に「喜劇」だった。どっちにしても題名からは内容を想像できない。

作者自身でもあるダンテは深い森に迷い込みそこで古代ローマの詩人ヴェルギリウスに出会う。ダンテはヴェルギリウスに案内され地獄を遍歴する。地獄の中心にまで達した後、地獄を離れ登るごとに罪があがなわれる煉獄山を旅する。煉獄山の頂上は地上の楽園だ。ここでダンテはヴェルギリウスと別れ永遠の淑女ベアトリーチェに出会う。そしてベアトリーチェに導かれて今度は天国に向かう。最後にダンテは天国の最上階である至高天に達し神の摂理を知る。

ハッピーエンドなので「悲劇」ではなく「喜劇」としたらしい。

Statue of Dante Alighieri (ダンテ・アリギエーリ像)

Dante Alighieri

15:24 ダンテ・アリギエーリ像(拡大)

ある程度内容を知ると鴎外訳「神曲」もなるほどと納得できる。キリスト教の世界観に基いて厳密に構成された地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部から成る長編叙事詩なのだ。神の教えを表した詩、だから「神曲」、なるほどと思った。他方イスラム圏では、開祖ムハンマドが地獄に堕とされる描写があるため「神曲」は禁書扱いになっている。宗教対立という厳しい現実がある。

地獄の入り口には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と銘された地獄の門が建つ。そこから未知の世界を遍歴するなど、神曲のファンタスティックな描写は、特に宗教に淡白な日本では宗教教義などはそっちのけにしてSFやファンタジー作品に大きな影響を与えているようだ。

それにしても、彼の表情、強い個性がよく現れているな。

Suburban of Florence (フィレンツェ郊外、トスカーナ州)

フローレンス郊外

17:47 フィレンツェ郊外、トスカーナ州

フィレンツェ(Firenze)からまた来た道を戻ってローマに向かう。すばらしいトスカーナの田園風景が広がる。ローマに着くのは21:00頃になる。

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