Krak des Chevaliers - Syria
Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエ) July 6, 2007
Far Sight of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの遠景)
16:36 サフィータ方面から車でクラック・デ・シュヴァリエに向かいました。遠くの山の上にその城が見えてきました。城はトリポリの東に位置する高さ650m程の峰に築かれています。
切り立った山頂にあるようなイメージを持っていたのですが、見る方向が違うとそうでもないようです。右側には殆ど同じ高さの山が続いています。左側は断崖に見えます。現在、すぐ下まで住宅が立ち並んでいます。
Main Entrance of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの正門)
午後4時50分ころ城の入り口に着きました。茶色と黒っぽい石のを積み上げて壁が作られています。パルミラのようにシリアには石灰岩が多く白っぽい石の遺跡が多いのですが、ここの石はちょっと違います。上と下でも違いますね。
やや左下に見える木の扉が入り口です。防御のため入り口は小さく作られています。他の城に比べ沢山の観光客が来ていました。
Main Entrance of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの正門)
高い石壁です。破壊されたような形跡はありません。
この城の名称は騎士(仏:シュバリエ)の砦(アラブ語:クラク)から来ています。クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーンは2006年に世界文化遺産に登録されました。
この城の元は1031年にアレッポの領主により建築された。第1回十字軍時の1099年、ツールーズ伯レイモンにより落城、1144年にトリポリ伯から聖ヨハネ騎士団に譲られた。十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠であった。
聖ヨハネ騎士団は大規模な拡張を行い、コンセントリック(集中)型の城として、30mの厚さの外壁を加え、8ー10mの壁厚の7つの守備塔を配置した。城の改造は1170年にはほぼ完成した。その後地震で一部崩壊したため何度か再建工事が行われた。
Main Entrance of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの正門)
16:54 入り口の前にステンレス製の看板がありました。"Le Krak des Chevaliers"、その下に説明文があります。城の全景も描いてあります。どの方向から見るとこのように見えるのかな?
破壊された跡がなく、よく原型が保存されています。 注意してみると、外壁の内側に城があるような構造です。外壁の右側にある高い部分が城の正門でしょう。
Main Entrance of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの正門)
16:56 正門から中に入りました。 多くの遺跡は屋根が崩壊しているのですが、ここは健在です。建設当時の構造がそのまま残っています。
この部分は門に続く外壁の部分であり、城の本体ではありません。外敵が入ってきたとしてもここから先、城の本体に続く道が分かりにくい構造です。
Stable of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの馬屋)
16:57 「第1馬屋(First stable)」の標識があります。
Stable of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの馬屋)
16:58 立派な馬屋です。馬は100頭くらいいたのかな?
この城は1170年にはほぼ完成していた。城には50-60人の騎士と2000人の歩兵が常駐していたそうです。
外壁の入り口近くに馬屋がある、何故なんだろう?現代風に解釈すれば、車庫は普通そんな場所にありますね。
Entrance Passage of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの入り口通路)
16:59 入り口からずっとこのような細い通路が続いています。
当時の破城槌などの攻城兵器を持ち込めないようにするための防御構造です。
Entrance Passage of Krak des Chevaliers (クラック・デ・シュヴァリエの入り口通路)
17:00 ちょうど5時です。細い通路から外を見渡せるところに出ました。城本体の外壁が雲にさえぎられた太陽光でシルエットになって見えます。